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[ 壱州人辞典 No.74 ] 理学療法士:大久保雄三

-壱岐病院の理学療法士として勤務し、同じ職場で出会った奥さんと結婚。3児の父。野球をこよなく愛し、少年野球のコーチ・監督を歴任。現在はボランティアでストレッチや障害予防のサポートも行っている。勝本町出身・在住。-

 

 

Q1. 壱岐に戻ってくるまでは何をされていましたか?

静岡の病院で理学療法士として働いていました。
理学療法士を目指そうと思ったきっかけは、母親(壱州人辞典No.19大久保眞智子さん)が福祉施設で働いていて、送迎中の車に乗っていたおじいちゃんおばあちゃんが「大久保さーん!」ってうちの母に手を振っている場面を見たときに、母は皆さんからこんなに頼られる仕事をしているんだと思いました。

あと、自分も小さい頃から野球をやっていて怪我に悩まされることが多くありました。母のエピソードも含め、自分もそういった人の助けになれる仕事として理学療法士を目指して静岡の学校に進学しました。学校の志望理由は学費がその他の学校より抑えられていた事と、当時の母校は野球が強かった事が決め手でした。両親のお陰で、勉強と野球とバイトをしながら、大変ではありましたが、充実した学生生活を送らせて貰えました。 卒業後は、学校横にある総合病院に就職しましたが、父が急逝し、姉も嫁いでいて母が実家で1人となったのをきっかけに壱岐に帰りました。

 

 

 

Q2. 壱岐で今どんなことをやってますか?

壱岐病院リハビリテーション科で勤務させて頂いています。たまにボランティアというか、スポーツをやっている子ども達にストレッチ指導や怪我の予防などのサポートを行う場合があります。PTAからの依頼で、小学校にも親子ストレッチ等に伺う場合もありました。
僕自身が野球をやっていた時に、本当に怪我に泣きました。当時は体に対する知識も何もなくて、ただただがむしゃらにやっていた事しか覚えていません。高校野球最後の夏の直前も、利き腕を脱臼してしまい、出場は叶いませんでした。仕事上でも、怪我に泣くジュニアスポーツの子達を多く見てきました。出来れば怪我無く、スポーツを楽しめる体と環境を構築してあげる事が必要だと思います。

 

息子が少年野球に入部したきっかけで、コーチ・監督を経験させて頂く事がありました。経験上、子ども達にも「怪我をせんで練習できる事が上達の秘訣よ」とか「ストレッチせないかんよ」と伝えてきました。でも自分がやっていない事を子供達に言っていたので、自分も始めました。「約束する!皆が卒業するまでに、俺もストレッチで開脚をして頭が地面に付くまでやるけん皆で頑張ろう!」という事で僕も2~3か月で開脚頭ペタを達成する事が出来ました。余談ですが、うちの息子も重要性に気付いた様で、夜はストレッチを欠かさずに現在高校2年生。僕よりも柔らかい体を手に入れました(笑)そんな流れもあって、教え子達が陸上競技の前や、マラソンの前、どこか不調がある時にはストレッチをしたり、テーピングをお願いされたりしています。

 

 

Q3. 壱岐のこれが凄い!と思うところはどこですか

今まで壱岐の色んな所を挙げられてきたと思うので、僕は“身体能力が高いところ”を挙げます。
野球含め、サッカー、バレー、陸上、バスケなんかもそうですし、小さい頃から成績を残す子供達が多いと思っています。将来壱岐の島から、大谷翔平選手のような世界に羽ばたく選手がジャンルを問わず出てきてくれたらいいなと思っています。
僕はスポーツって、一番心が震えるものだと思っています。壱岐の中からスポーツで上を目指して頑張っている人がいたら、島がひっくり返るような盛り上がりになるんじゃないかって。その為には選手の身体のケアであったり、環境であったり、コーチングを含めてだと思います。それらを整えてあげれば、もっと上を目指せる子が増えるんじゃないかと思うので、そういった所を支える事が出来ればいいなと思いますね。

 

母親の大久保真智子さん(壱州人辞典No.19)が開業した駄菓子店「勝本ゆめ横丁」にて

 

Q4. 壱岐での出会いの中で、ご自身の人生に大きな影響を与えた方はいますか。

高校時代の野球部の監督です。教師では無く、一般の方です。

僕は監督に人生を変えて頂いた1人で、監督にお会いしていなかったら勉強もしていないですし、ここにもいなかったと思います。凄く厳しい(内緒ですが)方でしたが、そんな中でも、「勉強はしなさい」と僕らに言って頂ける方でした。
お恥ずかしい話、ずっとクラスの一番下で赤点を取っていました。そうすると遠征に行けないんですよ。好きな野球が出来ない、だからそこから人生設計を振り返って、そこから勉強しだした気がします。あと、高校1年生の冬の面談時に、当時の学校の担任に「僕は理学療法士になります」と言ったら、「絶っ対無理です!」と言われましたが、それもまた、僕の心に炎を灯してくれた一言でした(笑)
最終的にはクラスで1番最初に進路も決める事が出来ましたし、現在こうして“理学療法士”として働かせて頂いているのも、監督の元で心と体と考え方を学ばせて頂いた結果だと思っています。

 

 

Q5. あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか

ふるさとですね。代え難い。

壱岐で生まれて家族に出会って、仲間に囲まれて。人生変わっても代え難いくらい、壱岐が好きです。
これからはスポーツで壱岐が盛り上がればいいなと思っていて、人間の構築というか、スポーツを通じて沢山の勉強や教育が出来ると思うんです。
僕で良ければ、解決は出来ないかもしれませんが、話をしたり話を聞いたりすることは出来るので、お声かけ下さい。何かの道標を一緒に模索出来たらと思っています。

 

Photo by はんこ


【壱州人辞典とは】

地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、壱岐に住む(暮らしている)を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。 

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壱州人辞典 | いきしまぐらし 【壱岐市公式】 – Part 4 (ikishimagurashi.jp)

≪この記事を書いた人≫

ぶちさん

長崎県大村市出身。管理栄養士として日本、アフリカで約6年間の活動を経て、2021年4月から壱岐市地域おこし協力隊に就任。

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