-壱岐から出たい一心で高校卒業後、大阪へ就職。大阪万博時期の3年半ほど過ごし、帰島。現在は一支米倶楽部という生活研究グループの集まりで、火曜日と4のつく日はお弁当作りをしている。座右の銘は「我が道を行く」。芦辺町出身。-
Q1.普段のタイムスケジュールを教えてください。
夫は仕事の傍ら、退職後に農家になる準備をしていました。私が還暦を迎える頃にハウスが建って、2011年からアスパラガスの生産を始めました。夫は3月31日に退職をして、翌日からアスパラ取りしていましたね。
今はしていませんが、以前には修学旅行の体験学習も受け入れた経験もあって、その時は広島の中学生達が体験しに来ました。その他にもツアーの一環で50人くらい大人が来ましたね。
今は経営・生産とすべて息子に譲って、お手伝い程度の加勢をしています。
Q2.失くなってしまった行事・習慣・郷土料理などあれば教えてください。
郷土料理は、洗って、茹でて、絞って、味付けとなると、手間がいる。だからみんなせん(しない)でしょう。昔は法事・供養とかお祝い事とか色々あった時に親戚集まって、おなますを作ったり、およごし(※1)作ったりしていたのが、今は旅館とかでするようになって、それで作らないようになりましたよね。
一支米倶楽部では、そういう料理を作ってお弁当に入れるんですよ。そしたら油ものが少なくて良いねって言われていますね。70歳過ぎて、お金儲けじゃなくて、みんなでワイワイ言いながら作って。それが良いですね。
(※1)白和えのような郷土料理。白和えは豆腐が主の食材になるのに対して、およごしは壱州豆腐をすりつぶし、味噌や薄口しょうゆ、“ゆべし”(柚味噌)で和え衣を作る。具には壱岐ならではのイカが入ることもある。
Q3.壱岐が変わったなと思いますか。またそれはどんなところですか?
人間関係が変わったような気もします。
なんていうか、昔はみんなで何かをすることが多かったけど、今は面々。個人個人で仕事やなんやするのが多くなりました。だから私たち世代と若い人世代では考え方が違うと思うので、なるべく口を出さないようにしています。形式的には良いとですけど、それは引っかかりますね。
この近所は後継者のいる家も半分以上はあります。草切りとか、冬に雪が積もっても、若い人がタイヤショベルで片付けてくれます。頼もしいです。
勤めに行ったら、そこでお友達ができる。そしたら地域の方の繋がりが寂れてきたように感じます。昔は運動会とかもあって、みんなで練習して、ブルーシートを広げても座れないくらい人が応援に来ていたんですよ。今は人少ないので、荷物を所々に置いておかないとブルーシートが飛んでしまうんですよ。そういう集まりがあったから、近くに越してきた人やお嫁に来られた人も紹介し合えていました。今はわからないこともありますもんね。
Q4.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
「落ち着く」かな。
1回壱岐から外に出た人間にとったら、やっぱり壱岐は落ち着くっちゅうような感じかな。3年半くらいしか島外にいなかったけど、壱岐に帰ってきたら安心するし、落ち着きます。ひとりで向こうにいても、若い時は良いけど、年を取ったらね。まして今は息子家族も壱岐に帰って来たし余計に。孫の声もするし良いなって思います。周りからは、孫と一緒に遊べるし良いたいって言われます。孫が「じぃじ、ばぁば、あそぼ」って言ってくるので、一緒に遊んで。そしたら忙しさも疲れも吹き飛びますよ。
Photo by 髙田望
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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