-高校卒業後、28歳頃に壱岐へ帰島。壱岐を離れる時は「いつかは壱岐に帰るだろう」と思っていた。島外に住んでいた頃は同級生と定期的に集まりスポーツをしたり飲み会をしたりして親交を深める。最近はゴルフにハマっている。郷ノ浦町出身・在住。-
Q1.壱岐で今どんなことをやっていますか?
長距離走をしている同級生と始めた「壱岐AC(アスリートクラブ)」の一員として、郷ノ浦中学校と壱岐高校の陸上部でコーチをしています。
壱岐の中学校で初めての陸上部が、2014年に郷ノ浦中学校にできました。その時からコーチをさせてもらっています。今でも陸上部がある中学校は4つの学校の内、郷ノ浦中学校だけです。
自分自身も高校3年間は陸上部に入っていましたが、卒業してからは一切辞めていました。娘が「運動会で1番になりたい!」というのをきっかけに、35歳頃また走り出しました。今は生徒の試合を見に行ったり、スケジュールが忙しかったりして出ていないですが、以前はマスターズの大会にも出ましたね。娘は今も大学で継続して陸上をしています。
Q2.なぜ壱岐でその活動をしようと思いましたか?
陸上の練習ってひとりでもできるじゃないですか。でもそれをみんなでやった方が良いんじゃない?と活動していたら、たまたま転勤で陸上の有名な先生が壱岐に来られて、それがきっかけになって、“壱岐AC“っていう名前を作りました。
いろんな情報を伝えたり、イベントをしたりしている中で、僕もこうやって活動できるのも、あと何年出来るかわからない。だから自分の得た知識とか技術とかコーチングを引き続きやっていかないといけないと思い、みんなは反対したけど、2019年にNPO法人を立ち上げました。
Q3.どんな出会いや経験がありましたか?
縁あって、オリンピアン(※1)の高瀬慧選手を壱岐に呼びました。
壱岐へ転勤で来て、一緒に走っていた仲間が長崎に戻ったある時に「高瀬慧選手が長崎に来る!」と連絡をくれて、その翌日に飛行機で会いに行きました。夜には飲み会があると聞いて、顔を出し、高瀬選手のマネージャー的な人と連絡を取って「壱岐に来てくれ!」と連絡して、来島が実現しました。その時は渡良小学校と郷ノ浦中学校、イオン横の広場で陸上教室をしました。
高瀬選手とは日本選手権出たら見に行くぞ!と約束をしていたので、それも見に行きましたし、引退の時にもメールをくれましたね。
ネットとかでも繋がりはできるんですけど、“離島だから“とじっとしているんじゃなく直接目を見て話した方が繋がりも深くなりますね。
(※1)近代オリンピックに選手として出場した人物を差す英語表現。
Q3.壱岐にこれがあったら(出来たら)良いなと思うものはなんですか
僕の立場からすると「全天候型陸上競技場」ですね!
自分が育てた子ども達が島外に出て、いずれ帰ってきて陸上競技に携われる環境っていうのが出来ていれば良いなって思いますね。
Q4.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
「原点」ですかね。
壱岐を出て行っても帰るつもりだったっていうのは、原点だったからかなって。振り返れる場所でもありますね。基本的に過去を振り返ることって、あんまりしないんですけど、何かあった時に振り返れる場所って感じですね。
好きな言葉があって、星野監督の「辛かったら前へ、後悔するならずっと後で良い」です。悩もうとした時にその言葉を思い出して、悩む前にどんどん前へ進もうと思っています。
生徒達には良いことも悪いことも有名になれば色々言われるけど、「結果はどうでも良いから、とにかく自分が楽しみなさい」と伝えています。結果は選手が背負うものじゃないので、悪い結果の時は俺のせいにして良いって言っています。
受け売りなんですが「競技で勝てば良いんじゃなくて、自分がやったことに対して応援される選手になりなさい」ということは、ずっと言っていますね。
Photo by 髙田望
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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