-壱岐市石田町出身・在住。家業が「民宿 門谷」を経営していた。18歳からサーフィンを始める。20歳から12年間、福岡でお店を経営し、32歳の時にUターン。もともと島外へ出る時に「長男なのでいつか帰って来ないといけない」と思っていた。そのタイミングはたまたまで「親孝行」のため。-
Q1.どんな仕事をしているのか教えてください。
株式会社シーガルインという会社を経営しています。「マリンスポーツ」「グランピング」「ペンション」と部門が分かれています。
マリンスポーツをしている錦浜は、土地を少しずつ購入して自分が所有しています。国定公園内で、防風林もあるのでその分だけ大変です。モニュメントひとつ建てる時でも、松を切る時でも、その都度申請して許可をもらっています。
最近ではなんでも「あるのが当たり前」と贅沢になっているので、難しいですね。でも地元の人とちゃんと接しているから、なにか新しいことをしても、なにも言われないです。新参者でもないですしね。
Q2.壱岐へUターンをして帰ってきた時にどう感じましたか?
全然変わってない、昔のままだと思います。移住者の人が最近、ここ4~5年で増えたくらいかな。協力隊の人が増えて、ちょっとは若い人が増えたかなと思います。昔は若い人が出ていくばっかりだったので。自分が32歳で壱岐に帰ってきた時には、みんなに「若い!」と言われていました。
ウロウロするのはあんまり好きじゃないので、近くのおじいさん、おばあさんと話すのが好きですね。年配の方から好かれる方です。
海の様子も変わらないですね。水はあるし、海藻が無くなったのもしょうがないし、砂もきれいだし。でも海は多分沖縄とか南国の方がきれいですね。全然違います。でも温暖化で徐々に沖縄のようになってきているかもしれないですね。
Q3.これからの壱岐がどのようになったらいいなと思いますか?
沖縄みたいに“若い人が行きたくなる島”になったら良いよねと思います。そのためには中身を変えるしかないですよね。来る人にどんどんお金を使うんじゃなくて、働くところをうまく作って、そういうところを援助して雇用出来たら良いよねと思います。そしたら若い人たちが残れて、島を出ていく人も少なくなると思います。
海の仕事にしても、規制を緩めて、いままで地元で頑張ってきたおじいさん、おばあさんと一緒に働く感じになったら良いかな。今までを無視して、新しい人としかやらないとか、そういうやり方だから反発をくらう。今までの人を中心にやってあげたら、その人達も喜ぶし、もっとうまくいって、人ももっと増えて、壱岐から人が出て行かないと思います。
Q4.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
「しょうもないところ」ですね。
自分じゃしきらんけど、なんとかしてほしいですね。例えばフェリー代が安くなったら、観光客ももっと来ると思います。島民割引と同じ値段だったら、みんな喜んで来ると思うし、勤める人が出てくるかもしれないです。病院の先生なんか通いで来ているから、やろうと思えば、その逆もできるよね。今は船代が安くなったから島民の人は、島外によく出ているんじゃないかなと思います。そしたら地元じゃ何も買わなくなるし、飲みに行くのも福岡に行くようになるよね。
だから逆に壱岐にちょっと行ってこようかなってなれば良いかなと。いろんなところにお金を使わずに、そこにお金を使ったら良いんじゃないかと思います。
Photo by 髙田望
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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