-1941年に大阪府都島区で生まれる。幼少期は戦争が激しく、2歳で母の出身地であった岡山県に疎開。4歳の時、父の出身地であった壱岐島に疎開し、そのまま高校生まで壱岐で過ごす。その後上京し、就職。同じ石油会社に勤めていた妻と出会い結婚。父譲りの趣味で以前は盆栽集めもしていた。壱岐市郷ノ浦町在住。-
Q1.壱岐で今どんなことをやっていますか?
理容室経営と、40歳くらいから接客の合間に鉛筆画を描いています。
私は長男だったので、理容室を継ぐために21歳から1年間、学校へ通い理容師になりました。妻も半年入学をずらして理容学校へ通いました。私はレストランで、妻は喫茶店でアルバイトしてお金を稼ぎながらの通学でした。
そして24歳くらいの時、妻と2人で壱岐に帰ってきて、両親が経営していたこの理容室で働きはじめました。
鉛筆画は、水がいらないということで描いています。もともと、気分転換にえのぐを使って描くこともありましたが、鉛筆画も人が描いているから描けるかな?という気持ちがありました。また1週間入院をする期間があって、その時に退屈だからと思って鉛筆画を始めたのもきっかけです。
接客の合間で描くので、早いものは4・5日で仕上がりますが、おおよそは1週間くらいで描き終わりますね。長くて2週間かかったこともあります。
高倉健さんが好きなのでよく描きます。女性も描きますが、肌がきれいでしわがないので描きにくいですね。
Q2.壱岐の好きな場所はありますか?
うーん。海が好きで魚釣りばっかり行っているから海ですかね?最近ではイサキとヤズを釣りました。
Q3.壱岐が変わったなと思いますか。またそれはどんなところですか?
1番変わったところは人が少なくなりましたね。今はシャッターが閉まっているお店が多いですが、当時は5万8000人くらい人がいて、飲食店も流行っていました。ここらへんは、にぎやかな壱岐の目抜き通りでしたね。
あとは魚が獲れなくなりました。漁師さんは毎日漁に出て魚を獲ってくる。魚が獲れた分だけ、お金が入る。その景気が良いとお金をたくさん使うから、商売がうまく回るんです。お金を使うということは、経済が回るんです。壱岐を盛り上げるためには、漁師さんの元気が必要だと思います。
他にも大きいスーパーが出来て、お客さんがそちらに買いに行くから、おのずと町の商売は難しくなってきています。
Q4.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
「老人憩いの島」です。笑
若い人も少ないでしょう?のんびりしているし。でも年寄りは都会の方が良いのかなとも思います。都会の方が目から、耳から、目からと刺激がどんどん入ってくるので、その方が生き生きしていると思います。
壱岐では今日は天気だ、トンビも飛んでいる、海はきれいだと、のんびりとしています。
でも昔、知り合いが来てくれた時に「道路がきれい!」「学校が素晴らしい!」と褒めてくれました。あとは子どもの教育に熱心な県だと思っています。
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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