-幼少の頃から古典派音楽の教育を受けながら高校までは北京で過ごし、その後イギリスの芸術大学に留学。大学卒業後もイギリスで自身のアートスタジオを構え、インディペンデントアーティストとしてアートギャラリーと様々なコラボレーションを行う。音楽面でも活躍し、オーケストラでヴィオラ奏者、また、西アフリカ伝統音楽打楽器奏者としても活動していた。2016年に中国に戻り、世界中から美術関係者が集まるアートフェアを企画運営する企業でギャラリーリレーションとしてフリーランス勤務。壱岐移住後もアーティスティックな活動をしている。自宅のリノベーションをほぼすべて本人の手で行っており、そのデザイン性や腕前は家具作成依頼を受けるほど。-
※インタビューは妻ひとみさんと共に。
Q1. どのような経緯で壱岐を知りましたか?
妻と2016年に結婚し、子どもが生まれ住む場所をどうしようかって考えていた時、妻は福岡出身で壱岐を何度も訪問していたこともあり、移住先として壱岐を提案してくれたんです。
日本に住むなら離島がいいなと考えていたので、家のリサーチも兼ねて生後1ヶ月の息子と家族で芦辺浦の「みなとやゲストハウス」に訪れたのが最初の訪問ですね。
Q2. 数ある離島の中でも、壱岐に移住したきっかけはなんですか?
壱岐を訪れてから「島暮らし」に対してのファンタジーが膨らんだことですね(笑)。
息子を授かったと分かって、家族との時間を作りたくてアート業界の仕事を辞めました。同じ時期に、中国各地で活躍するパフォーマンスグループから夫婦共にオファーをもらって、家族で中国国内を旅するように仕事し、柔軟に時間を使える暮らしをしていました。その中で、何処で子育てしながら自分達の暮らしを作っていこうかって考え始めて、息子の為にも、日本と中国両方での暮らしや教育を経験し自身の価値観を育んでいってほしいという想いが生まれたんです。
最初の壱岐訪問1ヶ月後に、再度みなとやゲストハウスに2ヶ月間滞在して、島暮らしを体験する中で、壱岐での暮らし方が自分達には合っているなと感じて、家探しがスタートしました。
この島で、アーティストとして、違う背景を持つ人々と一緒に「物」や「場所」を生み出しながら、どの様にお互いを理解する事ができるのか、小さな「もの」「こと」のエラーや欠陥から発せられている些細なメッセージを感じる作品を展開していきたいと思っています。
Q3. 壱岐の生活に慣れるまで大変だったことはありますか
特にないですね。
そもそも自分は「外国人」として壱岐で生活しているつもりはないんですよ。海外旅行のような一時的な訪問であれば、もちろん外国人としての感覚はありますが、その土地に移住した場合、どこに住んでようが住み始めたらそこが「自分の場所」になります。だから今も外国人としてではなく、壱岐の住人として生活しています。
実際住み始めても、海外から来たからと言って変な目で見られることもないし、慣れない日本語とボディランゲージでもみんな理解してくれようとしてくれる。何も気になることはありませんね。皆さん、ありがとう!
Q4. もしLu Diさんの友達が壱岐に来るなら何をお勧めしますか?
そのときはきっと「僕」に会いに来るから、壱岐を案内する時間作れるか分かんないな?(笑)
なんていうのは冗談で、自分で見つけ出した 壱岐のおすすめスポットに連れていくかな。自然あふれる場所でコーヒー飲みながらくつろいだり、釣りやカヤックを楽しんだり、壱岐の豊かな食材で色々な国の料理を作って食べたり。壱岐に住み始めて1年半近く経つけど、まだまだ開拓できてない場所がたくさんあります。北京や上海にいたときは案内するといっても、バーとかレストランとかそういった場所しか思いつかず案内が難しいなって思っていたけど、壱岐にはこうした自分で開拓したおすすめスポットもあるから、案内することに困ることはないですね!
Q5. あなたにとっての壱岐を一言で表すなら?
言葉にできないな・・・。個人としての見方なのか、家族全体としてなのか、いろんな見方があるから難しいですね。
ただ、この場所が息子にとっての「ホームタウン」になってほしいなって考えています。僕は北京出身ではあるけど、心の故郷といえる「ホームタウン」ではないんです。北京はみんなの場所っていうか、なんというか、うまく表現できないんだけど、そんな概念が北京出身者には結構あるんです。だから、僕の場合「ホームタウンはどこ?」って聞かれても、うまく答えられないけど、これから壱岐で成長していく息子にはこの場所を心の故郷といえるような時間を過ごしてもらいたいですね。
Photo by 髙田望
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