—大正13年創業の焼酎蔵「重家酒造」に生まれる。高校時代、映画『東京ラブストーリー』を見て「東京に行ったらこんな恋愛ができるのか」と夢見て上京、進学。法政大学野球部で青春時代を過ごす。島の外に出ると、島の良さがやっぱり分かった。先代の想いを受け継ぎ、28年間のブランクを経て、2018年に日本酒蔵を新設。壱岐の日本酒造りを復活させた。長崎の壱岐という小さな島から“日本一のSAKEを生み出して歴史を作る”その熱い眼差しは世界を見据えている。壱岐市石田町出身。—
Q1.なぜ壱岐でその仕事をしようと思いましたか
いくつか理由はあるんですけど、平成2年に日本酒製造はやめてたんですが、いつかどこかのタイミングで造りたいなぁという想いが私の中でありました。
昔は日本酒を他の蔵で造り、うちの蔵でラベルだけ貼って売っていたんですよね。うちの会長である父は、その当時他の蔵で造っていた日本酒をよく飲んでいて、空瓶も家にたくさんありました。“うちの父は日本酒が好きなんだなぁ”とそれを見て思いました。
あとは壱岐の日本酒を製造するところが他にもう無かったので、重家酒造がやらなかったら壱岐の日本酒文化が途絶えてしまうんです。
「うちがやらなきゃ誰もやらないって。僕がやらなきゃ誰もやらないので、やるぞ!」と思いました。ただ相当なリスクを背負うわけだから、強い覚悟と想いがありました。
Q2.どんな仕事をしているのか教えてください
2014年頃から世界各地で日本酒・焼酎のプロモーション活動をしました。目指したのは、世界のレストランでワインと同等に飲まれる日本酒。そうしないと世界で認知が広がらないと思いました。うちは基本、純米酒(アルコール無添加)の日本酒しか造っていません。そして、そのまま無濾過で出すので、ジューシーでうま味があります。ワインに負けないと言ったらあれなんですけど、そういうフレッシュでジューシーで酸味もある、洋食にも合わせやすいお酒に仕上げていったんですよね。
そういう市場を僕らは狙っています。日本で売れるというのは大切なんですけども、最終的には日本酒自体が世界の食卓でごく普通に飲まれるお酒になることを目指しています。
自分が“どんな日本酒を造りたいのか”が明確じゃないと、蔵を作れないんですよ。どういうお酒を造るか、それが決まれば逆算して設備もそれにあったものを作れるだろうと思いました。面白いじゃないですか、こんな蔵が壱岐っていう島にあるなんて。
Q3.これから壱岐でどんなことをやっていきたいですか
僕はまだ満足していないんですよね。今年も麴を造る機械に投資するんですよ。もっとクオリティをあげていきたいと考えています。次の仕込み用に、米もすごくいい物を入手しました。原価で言えば正直あんまり儲からないんですけどね 。(笑)だけど飲んだ人にうならせたいんですよ、「これはうまい!」って。
僕ら日本一になるためにこの蔵を建てているんです。九州の壱岐という島、ましてや長崎の日本酒なんて誰も知らない中、東北・新潟の蔵を差し置いて、「日本酒と言えば壱岐」って言わせたいですよね。やりがいあるじゃないですか、自分で歴史を作れるから、それがいいなと思います。
Q4.あなたにとっての壱岐を一言で表すなら
「人生の出発点」…ていう感じかなぁ。自分はいつもそう思ってるね。自分が生まれたこの地の良さを伝えたいっていう。
たまたま僕は焼酎屋に生まれた、たまたまどうやって島に貢献しようかって思ったら、やっぱり焼酎と日本酒を通して島の魅力を伝えていくのが僕の使命かなぁと思ったので。それが今完全にはできていないけど、でも少しずつ形にはなっていっているかな。
Photo by 髙田望
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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