➖ 壱岐市芦辺町の瀬戸浦出身。中学校までは壱岐で過ごし、野球をするために島外の高校へ進学。高校卒業後は家業を継ぐことも視野に入れ、建築を学ぶために熊本の大学へ進学。卒業後にUターンすることも考えたが、先輩から空間演出をする会社の立ち上げに誘われ、そのまま熊本で働くことに。その後、結婚と子育てを機に、壱岐(瀬戸)へUターン。今では6歳と1歳のお子さんの父である。➖
Q1 .空間演出する会社ではどのようなことをされていたんですか。
竹あかりという事業をメインにやっていて、10年くらい働いていました。
元々は先輩たちが竹害対策の活動をしていたんですが、伐採した竹をどうにか活かせないかと考えて、それを事業にした会社になりました。竹あかり以外にも、10mくらいの大きなブランコを竹で作ったり、日本をはじめ海外でも竹害と竹の可能性の話をしてまわったり、色々なことをしていました。荒れた竹山を整備して、そこで手に入る竹を活用しているので、山の所有者さんも喜んでもらえます。
※本人提供写真
Q2 .壱岐でも竹あかりの活動はされているんですか。
壱岐にUターンしてから竹あかりの活動はほとんどしていませんでしたが、今年の春に小学校からワークショップの依頼があって、それをきっかけに壱岐でも少しずつ始めています。
ワークショップでは竹あかりについての話もさせてもらいました。竹を切るというのは元々は里山保全の活動だったのですが、切った竹に明かりを灯すことで、ゴミになるしかなかった竹に価値が生まれる。他にも炭や粉砕して堆肥にしたりすることで、竹を切る人に対価を払うことができるようになり、里山の保全と事業を持続的なサイクルで回すことができるようになるんです。誰か1人が儲けてもダメ。地域と連携していく事が大切なんです。
Q3 .約18年島外で過ごされてからのUターンですが、昔と今で違いは感じますか。
僕らが育ってきた時代はまだ活力がありました。久しぶりに戻ってみるとお店は閉まっているし、コロナ明けでイベントもないし、寂しいなと思いました。瀬戸市(春の市)も20年前は40軒ぐらいの出店があったのですが、戻ってきたときは7軒でした。もう愕然としましたね。これはどうにかしないといけないなと思いました。事業者がってよりは、こども達が面白くないよなって。僕たちが子供の頃は待ち遠しかった瀬戸市が、今のこども達はこれじゃあ来ないよなぁって。
Q4 .瀬戸を盛り上げる活動をしているとか。
「せとんまち」という活動をしています。せとんまちは瀬戸に住んでいる30~40歳ぐらいの若手で、空き家の活用だったりイベントの運営など行っています。また、商工会青年部として春の市の開催し、今年の春の市は積極的に出店者の募集をしたり、甲子園が終わって間もないということもあって、壱岐高のブラスバンドに演奏に来てもらったりして、みんなが楽しめるように工夫しました。最終的に出店数もかなり増やすことができたので、来年度も盛り上がるように頑張ります。来年は瀬戸の町中から家に眠っている古道具を集めて、ガラクタ市みたいにしたら面白いんじゃないかなと思っています。
Q5 .休日の日は何をされていますか。
「まちづくり」の活動をしていますね。もう趣味ですね、休みの日もいつも何かしらやっています(笑)
Q6 .瀬戸の魅力って何ですか。
僕はここで生まれ育っているので、「わがままが通じるところ」です。(笑)
子どもたちとみんなで焼き芋したいんだよねーって話していると「芋持っていき」って分けてくれる人がいたり、何かしらわがままを聞いてくれます。自分がやりたいことをやらせてくれるのが瀬戸の魅力だと思います。
Q7 .どんな方に瀬戸に移住してほしいですか。
コミュニケーションが取れる方であればどなたでも良いと思います。
都会に疲れて田舎でゆっくりしたいなぁ~という方は続かないのかな・・・。田舎の方が人との付き合いはありますから。人と会わず暮らしたいなら都会の方が良いと思っています。逆にコミュニケーション能力さえあればスキルや経歴なんてものはなくてもどうにかなると思っています。
Q8.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか。
「可能性の塊」
良くも悪くも余白がたくさんあると思います。衰退していっている壱岐に対して色んな思いを持っている方がいて、その中には栄えていた時を経験している方がまだ多くいるので、何かしようとしたときにある程度無茶を言っても許してくれる男気があると思います。なので、瀬戸はチャレンジできる町になれたならなって思っています。
前職のときに、倉敷の美観地区にあるおでん屋さんの大将によくしてもらっていたんです。その大将がある時「風土」と「郷土」の話をしてくれたんですよ。人が集まってできた風習を「風土」、「郷土」は郷土愛という言葉の通りその土地への思いであると。
「風土」がなぜ風と土の二文字かというと、風の民と土の民という二種類の人を指しているからだと。その土地に根差している人は土の民、よそから入ってくる人を風の民といい、良い風土を作るには風と土の二種類の人が必要なんだと。良い土があっても風が吹かなければ種が飛んでこないので芽吹かない、良い風が吹いても土が固ければ種が飛んできても芽吹くことはない。
当時の僕は日本中を回り、竹に明かりを灯す仕事をしていたので風の民だと言ってくれました。日本中の土に種を撒くため、地元の人とのコミュニケーションをたくさん取りなさいと。僕はこの話をされたときにとても感動して、凄くしっくりきたんです。
今度は僕が壱岐の「土の民」となって、風の民が来たときにフォローできるように頑張ろうと思っています。
[インタビュー、文:下條悟士、写真:下條友紀]
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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