➖『飲食は先細りだからやめておけ…』そう言われた店主が、父から受け継いだ居酒屋を新たな挑戦の場とし、人気のピザ店へと生まれ変わらせた。地域に根ざし、人と人をつなぐ拠点として歩みを進めながら、仲間と共に未来を見据えた地域活性化にも力を注ぐ。薪を割り、ピザを焼き、3人の子供の父でもある平山さんは、地域のより良い未来を願う活動家でもある。➖
Q1.どうして飲食の道に進もうと思ったんですか?
A. 料理はずっと好きだったし、見ての通り、食べるのも大好き。
両親はこの場所で洋風居酒屋をしていたんだけど「飲食店は先細りだから、やめておけ」と言っていてね、それで言われるまま料理とは関係ない福岡の学校に進学したけど、学業にはまったく興味が持てなかった。
業界の厳しさを知る親だからこその忠告だったと思う。
福岡での学生時代、アルバイト先のイタリア料理店でピザ窯の面白さとカッコよさに惹かれ、やはり飲食業が好きだなと思った。
Q2.壱岐に帰ってきてから本格ピザスポットになるまでの経緯を教えてください。
A.帰ってきてからは両親の洋風居酒屋に父と2人で店に立つようになり、『本格的なピザ窯を導入したい。人を雇ってこのくらいの規模で・・・』と提案しました。
Q飲食業界の将来を危惧するご両親の反応は?
A.母は慎重派でした。新たな投資が必要だったし、人を雇ってやっていく事に『そんなにお金をかけても・・』と。親父は『もう、好きにしろ』といっていた。でも嫁さんは『やりたいならやってみれば』と言ってくれた。
それから、ピザ窯をイタリアから買って、席数増もやして、大きな窯がドアから入られなくて店の壁を壊して・・・。
Q4.今や、人気のピザスポットになり大成功ですね!お店の運営で大変な事はありますか?
A.大変なこと・・薪割りとかね。薪が沢山出る時期はバタバタする。薪は待ってくれないからね、でも薪はとても大事。広葉樹や椎の木があったら是非お知らせください!(願)
あとは出来れば昼まで寝ていたいけど、子供達と朝食を食べたいから早く起きるようにしてます。親として子供と過ごせる時間を大切にしたいと思っています。起きれない日もあるけど、笑。
お店は、今は結果として良かったと思っているけど、人口はこれからもどんどん減っていくわけで観光に来られた方々に、この町に足を運んでもらう動機をつくらないととも思うし、自分だけでは出来る事は少ないけど、地域の有志仲間と『自分達が観光スポットになろう』と活動しています。
Q5.今年の芦辺の春の市も盛り上がって若い方も沢山いましたね!
A.以前は、出店も5,6件まで減ってね。もうやめていいんじゃない?と思ってしまうくらいにまでになった。僕たちが子供の頃は、ワクワクしながら参加したし、たくさん子供も並んで、年に一度の大きな楽しみだったんですよ。
だから、なんとかしてもう一度盛り上げようよ!ってなって、まだまだ課題はあるけど、『盛り上がってる』と思ってもらえたならよかった。
Q6.これからの地域について考える事はありますか?
A.移住の方も少しずつ増えて空き家も減ってきたけれど、もっと事業をする人が増えたらいいよね。飲食店もね、2件目3件目のお店とか。僕たちが歩いて飲みに行ける場所がほしいという個人的な理由もあるけど、笑。
ココにないものを創っていきたい。コロナ渦で何か出来ないかとピザ窯でパンを焼いたことがあったんだよね、地域の人が買いに来てくれたらいいなと思ってね。そしたら島中からお客さんが来てくれて、窯が小さいからキャパオーバーで待ってもらったのに買えなかった人もいて、その時はとても心苦しかったけど、これからも自分が新たにできる事を考えていこうと思う。
Q7.あなたにとって壱岐とは
A.『家…だね』
[インタビュー、文:飯塚綾未、写真:名子朋宏]
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
