-平成15年度、石田町町議を務め、平成16年に壱岐市へ合併後は壱岐市市議会議員としては3期半務める。累計14年間政治生活の中で壱岐を活性化に導く。就任する前の石田町には女性議員がおらず、町民の声があり立候補した。平成15年頃から1ヶ月に3回ある洋裁教室に参加している。町議になる前は自動車会社に勤めていた。石田町出身・在住。-
Q1.なぜ壱岐でその仕事をしようと思いましたか?
もともと政治に興味があったのよね。佐世保港にエンタープライズが入港した(※1)ってニュースがやっていたのが高校1年生。高校3年生の時には生徒会活動もして。その頃からずっと関心があった訳ね。そのままずっと来てると思うし、父が石田町議会議員だった。だから全くの素人ではなかったのね。そういうものを持って生まれたのね。
(※1)佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争:1968年 1月にアメリカ海軍の原子力空母エンタープライズの寄港(米軍佐世保基地への入港)に対して発生した革新政党・団体・住民を中心とした反対運動のこと。
石田町の婦人会長をしていた時かな。長崎市で地方分権の公演を聞いて、これからそういう時代になっていくから、これはやらないといけないなって。島に帰ったら石田町は合併反対で。壱岐は1つにならないと、お金もなくなるし、これからはやっていけないなっていうことで合併推進派として出たの。
でもやっぱりね、最初は良くても家庭との両立が難しい。15年も経つと、親は年をとる、子どもが大きくなって結婚して孫ができる。議員だと「ちょっと来てください」っていつ呼ばれるか分からないから、家を不定期に開けるじゃない。そしたら家庭のことはできなくなる。夫婦2人ならできるかもしれない。でも孫も男の子が4人いて、息子は飲食店をしているから夜は面倒を見ないといけない。ずっと夜預かっていたら、だんだん年を取って体力的にもきつくなって、家庭がギリギリだったのよね。これ以上やると家庭も崩壊するし、自分も体を壊すと思って。最後は副議長を務めて、「次は議長たい!」って周りに言われたけど、忙しくて議長は絶対やれんと思って。だから仕事か家庭かどっちかをとらないかんやった。議員は代えがある。でも家庭は代えがいないから放る訳にはいかん。天秤にかけた時に家庭を取らないけんねって。いっぱいいっぱいしました。それで思い残すことはなにもない!大変だったためにとても勉強になりました。
Q2.壱岐が変わったなと思いますか。またそれはどんなところですか?
封建的な社会だったのが、だんだん自由を重んじるようになったっていうのはあるよね。そういう考え方が拓けてきた感じはするよね。昔は女性が議員なんて考えられなかったですもん。時代の波かもしれない。
Q3.これからの壱岐がどのようになったらいいなと思いますか?
結局ね、壱岐のことだけ考えてもどうしようもないんだよ。世の中が、世界がどう動いていくのかを見据えんと、なんもやっちゃいかん。今は変動の時期だから、なんとか耐え忍んで、なんとか維持していく。もう一時したら、動きが変わって見えるかもしれんのよね。そん時を見落とさんごとせないかん。そう思う。
今は何をしたら良いって、誰も言えないと思うの。世の中、社会、時代っていうのは絶対変わっていく訳だから。どう変わっていくかはね、見とかないと。ここよねって時には思い切ってやらないと。
今から、今までとガラッと違った世の中になる。全部変わるから今までとどう切り替えていくか。商売もそうだよね。壱岐のものを売りたいなら、売り方をどうするか。直売だけじゃなくてネットも活用する。だから絶対若い人の力が必要になる。商品化するにも販売をするのにも。でもね、農業も漁業も高齢化でできなくなっているじゃない?そういうところをね、どうしていくかを島民が考えないといかん。壱岐の人は誰かに頼りきるんよ。そしてそれを誰かのせいにする。でもそうじゃないんよね。自分達がどうするかを出さないかん。わからんところを聞かんといけんとばって、そういう努力をせんのよね。ゆた~っとしていて、今までそれで生きてこられた島なの。けどもうそんな時代じゃないと思う。
Q4.島外からの移住者に対してどのような印象を抱きますか?
ここが良ければ住んだら良いと思うし、それは自由だと思う。島外から来たら“旅の人”って言われるでしょう?それもあっても良いんだけど、新しいものを受け入れきらんといかん。それを受け入れようとしない人がまだいる。大変やろうと思うよ。
私も議員の時は言いよったけど、外から来た人の意見をちゃんと聞いて、それを取り入れ切らんと、自分達は年とっちょるとに考えても分からんやろって。
若い人も最初は分からんとやけん、いろいろ失敗もあろうけど、成長すっとたいね!新しい風が入った方が良いと。風を変えないかんって時がありますよね。
Q5.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
自分にとっては、神様から与えられた私の人生の修行をして生きていく場所。
人生修行のために私はここを与えられたんだって。世のため、人のため、神のために、やっぱりここでこの世は生きていきなさいよって。いろんな修行をして徳を積んで来なさいよって。私に与えられた所だって思う。
Photo by 髙田望
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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