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[ 壱州人辞典 No.60 ]メイリ・カンパニー:赤木久美子

-芦辺町出身。“壱岐の食材の素晴しさを知ってほしい”そんな思いで2017年にメイリ・カンパニーを創業。壱岐産の雲丹を無添加で仕上げたうにめしの素や、うにアヒージョ「壱岐の海のごはん」シリーズ。「骨まで食べれる壱岐産のお魚の干物」など豊富な商品を揃えている。生産はすべて自社工場で手作りしている。-

 

Q1. なぜ壱岐でその仕事をしようと思いましたか?

生まれてすぐ幼少期は横浜で過ごして、今から20年くらい前に壱岐に戻ってきて八幡半島にある東部漁協に務めさせてもらったんです。
八幡の海女さんは乱獲を防ぐ為にレオタード姿で潜ってるんですよ。昔から大事にされている文化で、ウニとかサザエを素潜りで一回2~3時間潜って休憩して、また2~3時間潜るっていう。すごいですよね!!
でもせっかくの良い食材なのに出回っている量が多くなかったんです。

どれだけ魚が不漁でも自然に任せる、その収入で生活をするっていう流れが変わらなくて、そこで”加工品を作ることでまた違った販路ができたらいいな~”という思いで始めたのがきっかけです。
やっぱり漁師さんに儲かっていただかないと島が潤わないよね。

 

 

 

 

 

Q2. 壱岐に来るまでは何をしていましたか

横浜から福岡に来て8年間くらいかな、福岡でOLをしたり、花屋さんとか。自分で唐人町商店街で古本屋さんもやってたの!意外でしょ(笑)
当時住んでいた部屋の一角4畳半を古本でいっぱいにして、それから唐人町商店街の一角で始めたの!その時に向かいの魚屋さんの販売を手伝ったりもよくしてたなあ。
あとバイクも売ってたのよ(笑)福岡大のそばで当時はまだ地下鉄がなくてね。学生に原付がよく売れたわよ~(笑)

 

 

 

Q3. 壱岐へUターンをして帰ってきた時にどう感じましたか?

幼い頃は夏休みに毎年1か月くらい八幡半島に遊びにきていたの。それがとても楽しくって!1か月間真っ黒になりながらね(笑)今思えば、そういったとこから始まってるのかなあって感じます。

結局本当に自分がやりたかったのは、漁協に努めて色んな事知って覚えて、壱岐の食材を使って何かをするっていう事だったんだなって思いました。

 

 

商品はすべてこのキッチンで手作りで生産している。

 

 

Q4. これから壱岐でどんなことをやっていきたいですか

まだまだ!!壱岐の良い食材眠ってると思うのよ。それを見つけるのが楽しみ!!
新商品を作り島外や海外に販路を広げたいですね〜
島外で働いている壱岐っ子達が、ふるさとで働きたいと思ってるても中々職が無く戻って来れないのが現状だと思うのね!
だから!!壱岐っ子達を受けれられる様にメイリ・カンパニーを大きくしたいです。

 

愛娘のめいりちゃんと壱岐の海、店名の由来だ。

 

 

Q5. あなたにとっての壱岐を一言で表すなら

“宝の島”じゃない?

だって色々あるもんねえ。海だけじゃなくて山、たくさんの自然でしょ。この前の夕日なんてすごいきれいだったし!!
私は壱岐に住んでいて、壱岐は食材がありがたくも恵まれてるでしょ。これがあって商売が成り立ってるの。宝島だねえ。と思いました。

 

Photo by 髙田望


【壱州人辞典とは】

地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。


~壱州人辞典一覧はこちらから~

壱州人辞典 | いきしまぐらし 【壱岐市公式】 -Page 5 (ikishimagurashi.jp)

≪この記事を書いた人≫

ごーちゃんさん

栃木県生まれ。東京→福岡→札幌→東京→大阪を経て壱岐に移住。趣味は釣りとサウナ。

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