アーティストインタビュー FUKUOKA ART NINJYA代表 : 徳永昭夫
石田町に新しくアーティストの製作拠点「iki base」が7月7日にオープンしました。
元民宿の別館をリノベーションし、(※1)アーティスト・イン・レジデンスやアーティストの作品制作・発表の場所として活用していき、アートが地域を活性化させていくという新しい取り組みとなっています。
アーティスト・イン・レジデンスに参加された徳永昭夫さんにお話を伺いました。
iki base オープニングレセプションの様子はこちら
-現在の活動と始めたきっかけを教えてください
熊本大学工学部の建築学科を卒業し、店舗設計などをする設計会社に入社しましたが、その年の12月にすぐ辞めてしまったんですよね。その後はとにかく英語が話せるようになりたくて、土方のアルバイトで資金を作って、(※2)ワーキングホリデーでカナダに1年間行きました。
帰国する前に、学んだ英語を活かして遊びつくそうと思って、飛行機をニューヨーク発にしていました。当時、マンハッタンの立地の良い場所に “タンスヤ”という和風のタンスを作って販売しているお店があったんですけど、そこで仕事が見つかったんです。ニューヨークに行きたいと思っていた私は、オーナーも日本人だしアートにも興味があったので、「徳永くんやってみる?」と聞かれた時に「是非やりたいです!」と答えました。こうして仕事が見つかったので、帰国後1週間でニューヨークにとんぼ返りしました。
始めは図面を書く仕事や日本食レストランの内装などをしていたんですが、途中から“タンスヤ”というお店からCAST IRON GALLERYという、貸しギャラリーや企画展などを行う業態に変わり、日本人アーティストやニューヨークのアーティストの展示設営に携わるようになりました。そして、3年働き、帰国する直前にこのギャラリーで、生まれて初めての個展を開催しました。個展では8点が売れて6000ドル(約70万)の売り上げがあったので、「これで俺やってみようかな」と天狗になって帰国しました。
日本でもアート活動を続けるんですが、福岡で発表しても全然売れなくて。どうしようかなと思った時、日本ではアート業界に設営の知識と経験が豊富な人が少ないなと気づいたんです。僕は建築学科を出て店舗設計もやっていたので、壁の構造に対する知識はありましたし、ニューヨークでさまざまな作品の展示設営をしていたので、設営の知識と経験もあります。こうしたスキルを活かして仕事が出来るなと思いました。90年代の福岡では、「(※3)ミュージアムシティプロジェクト」という継続的で大きなプロジェクトがあったのですが、そこで設営などのスタッフを10年足らずやっていました。現在は福岡市美術館の学芸課で会計年度任用職員として働いています。主な業務としては、学芸員さんの書く文章の基本的な英訳をしたり、外国の方とやり取りをしたりしています。
主な収入は美術館の仕事になりますが、その他に「FUKUOKA ART NINJA」という屋号で、作品発表、イベント、設営などの仕事をしています。
※1アーティスト・イン・レジデンス:
アーティストが一定期間ある地域に滞在し、通常の活動場所とは違う文化や環境で作品制作やリサーチ活動を行うこと。また、アーティストの滞在を支援する事業のこと。
※2ワーキングホリデー:
18~30歳の青年を対象に、2ヶ国・地域間への休暇目的の入国および滞在期間中における旅行・就労を認める制度。
※3ミュージアムシティプロジェクト(ミュージアムシティ福岡):
福岡県福岡市の天神地区を中心に、1990年に「ミュージアム・シティ・天神」として始まったアート・プロジェクト。98年からは博多部にエリアを拡大し「ミュージアム・シティ・福岡(以下、MCF)」となる。福岡という都市空間の中で「美術が都市の中で流通するシステム」を形成するための「実験」として位置づけられた。「ミュージュアム・シティ・プロジェクト」は運営を行なう非営利組織の名称であったが、2002年以降はプロジェクトの総称としても使われている。
-ニューヨークの個展ではどんな作品を発表したんですか?
平面と立体と合わせて12点展示しました。ビックリマークとはてなマークが好きでよく使うのですが、その時は、はてなマークをゴムのシートで切り出して、それをいっぱい合わせて大きなビックリマークにするという立体作品を作りました。「疑問がいっぱい出てくるけど、それが重なった最後は大きなアイデアになって形になるよね」というコンセプトの作品です。立体はそれ1つで、あとはパステルやマーカーを使用した平面作品で、グラフィックデザイン的な作品が多かったです。立体作品は、(※4)アッパーイーストにマンションを持ち、別荘も持っているようなお金持ちの方に購入していただきました。ドラマや映画で見るような豪邸に、彼の車で向かって設営したのは、ニューヨークでの派手な出来事の1つですね。
※4アッパーイースト(アッパー・イースト・サイド):
アッパー・イースト・サイドは富裕層の住宅街として知られ、高級住宅地として有名である。またこの地域の住民のための私立学校もある。20世紀以前は大富豪の屋敷が並んでおり、現在はセントラルパークに面する住宅街とパーク・アベニューの周辺を中心に高級アパートメント、コンドミニアムが並ぶ。
―幼い頃からアートに興味があったんですか?
亡くなった父が大工だったので、金槌を持って釘を打つことは幼い頃から好きでした。「大工になりたい。そして、父を超えたい」という思いがあり建築系に進学をしたのですが、色々と世の中を知るにつれて、「アートって大事なんだ」と思い始めたんです。大学3、4年生の時にアート活動をしようと決めて、「もういいや、アートやりたい」と思ったので就職した会社をやめて海外に行きました。ニューヨーク時代も、当時超有名な (※5)「トニーシャフラジ」とか(※6)「メアリーブーン」とか(※7)「ガゴシアン」とかを、昼休みに散歩していたら全部観れるんですよ。当時のニューヨークのアートシーンを生で観てこれたというのはなんか良いですよね。
※5トニーシャフラジ:
アメリカのアートディーラー、ギャラリーオーナー、アーティスト
※6メアリーブーン:
アメリカのアートディーラー兼ギャラリストであり、メアリーブーンギャラリーのオーナー兼ディレクター
※7ガゴシアン
ラリー・ガゴシアン。ガゴシアンギャラリーのアートギャラリーチェーンを所有するアメリカのアートディーラー
-今後どんな活動を目指していますか?
(ニューヨーク時代と)同じような環境が福岡ですぐ生まれるわけではないので、どうやってアートをしていこうかなと思っています。作家活動とアートに関わる仕事で生き続けられるのかっていうのが、常に課題として自分の中にあります。僕は自分でも思っているのですが、「アーティストとデザイナーの間」の位置で捉えられることが多いんです。今回アーティストインレジデンスという枠で来ていますが、ある議題があって、それに応える形でやるっていうのは、デザインに近いと思っています。デザインというのは、目標が設定されたらその目標に向かって形にしていくと思うんですけど、アートってもっと自発的で、誰かから期待されなくてもお願いされなくても、勝手に自由にやっていくことでアーティストは成り立つと思います。デザインとアート、その両方をやりつつ、その間もあって良いだろうと。そうした自分なりの分野というか生き方みたいなのが、制作活動のスタンスとして位置づけられているので、今後もそうした立ち位置で活動が続けていければと思っています。
徳永昭夫
1965年(昭和40年)7月7日福岡県飯塚市生まれ。1988年熊本大学工学部環境建設工学科建築コース卒業。
1989年から1992年までカナダ、ニューヨーク滞在。1992年に自身の初個展、その後のグループ展出品などの活動と並行して、1994年よりミュージアムシティプロジェクト(福岡市)にスタッフとして関わる。以降1999年福岡アジア美術館開館記念交流プログラム(福岡市)、2005年横浜トリエンナーレ2005(横浜市)、2009年ならびに2015年の別府現代芸術フェスティバル混浴温泉世界(大分県別府市)などをはじめ、国内外の美術展、美術イベントの制作、設営多数。2004年以降コンテンポラリーダンス作品に出演ならびに企画制作に携わる。2015年3月 英語通訳案内士取得(第EN00270号)。
Iki base -artist in residence-
IKIBASEは長崎県壱岐市にあるアーティスト・イン・レジデンスの拠点です。
2020年に元民宿の別館だった建物を改装し2021年から運営をスタートさせました。アーティストにとっては第2の制作・創作の場所となり、地域にとっては、島外からアーティストを迎えることで、新しい視点や壱岐の魅力の再発見となります。
アーティストの制作アトリエとしての機能にプラスし、アートで地域とつながるコミュニテイの場とします。このフリースペースでは、制作活動や、ワークショップ、展示会などを開催し、壱岐の新たな文化発信スポットを目指していきます。さらに、そのような相互作用で関係人口を増やし地域を活性化していくことを目的とします。
2021.9 追記修正
photo by 髙田望