-北海道恵庭市生まれ、壱岐市芦辺町在住。友人と設立した会社で40年程、役員を務める。退職後、不動産分野の人を集めた研究会を設立し、出版物を通した社会提言活動を10年間行っていた。コロナ禍を機に研究会を解散し、オールリタイヤして令和2年8月に東京から単身移住。現在はResort Office「粋」ikiを設置し、2匹の愛猫と暮らしている。10年前ゴルフのシニアチャンピオンになるほどの腕前の持ち主。-
Q1.(Iターン者)数ある離島の中でも、壱岐に移住したきっかけはなんですか。
Resort Officeのロゴ「粋」という文字を書いてくれた、女流書家の宇佐美志都(うさみしづ)さんがきっかけです。
宇佐美さんは北九州で100年続くお醤油屋さんの4代目の社長です。そこのお醤油と、壱岐のウニを使った雲丹醤油が出来たときに頂き、「壱岐って綺麗ですごく良いところだから、一度遊びに来てください!」という話になりました。来てみたらすごく良いところだし、ちょうど移住も考えていたので、迷いもなくここにしよう!とすぐに決めました。
令和2年2月に初めて来島し、不動産や市役所で移住相談をしました。それで不動産が取り扱っていた、この売り地を見に来て、その場ですぐ契約しました。トレーラーハウスに住むと決めていたし、そんなに頻繁には来島できないから、その時に“浄化槽を埋める”“電気・水道を引く”ところまでお願いをして東京に帰りました。
Q2.(Iターン者)初めて壱岐に来た時の感想は。
とにかく道路がきれいに整備されていると感心しました。道路が整備されているということはインフラも整備されているということ。さらにコンパクトな島であり、海はきれいで気に入っちゃいました。海の近くで生活をしてみたかったということもあり、パパパッと決まりました。
現役時代にできなかった「動物を飼う」「野菜を作る」という夢も実現しました。そういう生活をしてみて実際楽しいですね。
Q3. 「実りの島、壱岐」と言われていますが、壱岐のこれが美味しい!好き!という食材(食べ物)はありますか
実はね、野菜でも魚でも北海道とほとんど似ているんです。でも自分で作ったものは一番おいしいですね。
Q4.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
「宝の島」
ここは第5の人生だと思っています。第1は恵庭市で生まれ育った幼年期・少年期。第2は学習、学びの時期。第3は会社を創立し、商売を始めた時。第4は研究活動をした時。第5の今は「自然人」を目指して、巷の流行に影響されずに静かに過ごす。ただ移住してすぐ台風の猛威を振るわれ、「これが自然か」と驚きました。
老後は静かに暮らそうと思っていたんだけど、「伝統を今の形に」というテーマで研究をしていたから、直感的に壱岐の歴史ロマン、神楽や神社の神秘性が“壱岐の宝”だと思い、活動を始めました。氏子(人口)減少下の神社運営は、そのままお神楽の衰退に直結し、重要無形民俗文化財の伝承の危機を直感しました。氏神様を支える地縁の氏子さんに加えて、崇敬者(ファンクラブ的な)も参画できる仕組みの研究や、壱岐神楽の見える化(観光資源創造)政策として歴史ロマンに包まれる内海湾に伝承館を作れたらと考えています。
Photo by はんこ
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
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