-1941年、神奈川県川崎市生まれ、新潟県上越市育ち。高校では醸造科に属し、明治大学農学を中退。醸造について学んでいた。夜間の九州バプテスト神学校を2014年に卒業。2018年12月より壱岐キリスト教会の牧師。夫は壱州人辞典No.13の飛永孝さん。-
Q1.数ある離島の中でも、壱岐に移住したきっかけはなんですか?
移住前は福岡の城西教会というところで働いていました。その時に福岡地方連合の総会があり、当時の壱岐教会の牧師から、“子どもの進学と共に、教会を移りたい”という意向を聞きました。その想いが約2年続いていたので、“私ではどうですか?”と手を挙げました。そして壱岐の教会員の反応を見るために“お見合い説教”を2回行いました。女性の牧師は少ないのですが、教会員には女性も多いので、良いだろうと認められて壱岐へ来ました。
Q2.初めて壱岐に来た時の感想は?
なんだか坂の多い所だなと思いました。お見合い説教の前に、壱岐ってどんなところだろう?と2人で初めて来島した時、少し歩いてみて、そう思いました。
Q3.壱岐の好きな場所はありますか
なんていったって、教会があるこのスポットです。ここから離れられるのかな?と思います。この窓から見える土地がまた気に入っています。風がまともに当たっていなくて、南に向けて広々としています。
穏やかな風が吹いて、海が見えて、遠くに三島(渡良三島)が見えるんですよ。そしておひさまは柔らかく注いで、風は上を通っていくだけで。すごいなぁと思います。
Q4.島ならではと思うところはありますか。また、どんなところですか
感覚や習慣の違いを強く感じます。「古くからいる人を立て、新しく来た人は控えなさい」という想いが接する中で伝わってきます。
例えば女性同士で、「女だったら、こう思うよね」ということを決めてしまったり、言葉の使い方でも「自分の方がここに属している期間が長いのだから、友達に使うような親しげな口調はやめて」のように言われたりしたこともあります。
他の人はどうだろうか?と付き合い方を見ていると、その原則を外さないようにしているんです。だからこっちが勝手に動くと、けしからん!という風になるんです。
その時に古い人に遠慮するのが礼儀であって、その礼儀を踏まえるから滑らかにいく、その礼儀を踏まえずにやってもらっても困るということなんだと思いました。
人の動きを見ていると、行動する前の合意を形成する時に同じ流れをとるので、そういう時にこれまでの私の感覚と大きく違うのかなと感じました。
そうした環境に慣れずに、お嫁さんが島外に帰ったりすることもあるそうで、“嫁にいてほしかったら、優しくしよう”と今では語り草になっているそうです。そういうことの積み重ねで、だんだん変わってくるんじゃないかと思っています。
Q5.あなたにとっての壱岐を一言で表すならなんですか?
「ふるさとの再現・ふるさとの修復、そんな感じがしますね。」
私は川崎で生まれ、新潟で育ちました。農村地帯で精神的に全く違う田舎へ行って、いじめられたり苦労したりしました。親が生きている間は新潟の実家にも帰っていましたが、亡くなってからは行かなくなりました。
最近、昔の友達と年賀状でやり取りしていると、お姑さんになって農業をしていると知りました。あの新潟の平野で生きているんだと思いました。私も今度はこの土地で、優しい田舎で生きているような気がしたんですね。昔の故郷を再現するように、もう一度ここでゆったりと、その精神的な傷を受けていた子ども時代が修復していくような・・・故郷の修復っていうんですかね。そんな感じがしますね。
人が苦しむことは無駄じゃない、それはあとに形成されると思いました。
※日本バプテスト連盟では、身分制ではなく職務制度で招聘をされたら牧師である。教団でなにかを決める時には、性別や年齢、入信した期間を問わず、みんな1票ずつ持っており、徹底した民主主義で成り立っている。その代わりに信者同士でお金を出し合い、牧師への給料を支払い、牧師を招聘している仕組み。壱岐キリスト教会は1953年に設立されている。
―飛永さんご夫妻説明参照―
Photo by 髙田望
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
~壱州人辞典一覧はこちらから~