-壱岐市出身。高校までを地元で過ごし、大学では経済、経営を専攻。銀行に就職間際に取った一本の電話で、飲食業の道へ舵を切った。現在は先代である父から割烹『豊月』を引継ぎ、二代目として店を切り盛りしている―
Q名刺に大将とは書かれないんですね。
書けないですね、まだまだ自分を認められないです。やっとスタートラインに立てたところ、同時にずっと挑戦者だと思っています。
父と二人で店に立ってた頃は、経営を一人で切り盛りする事がこんなに責任感が重くなるものだとは考えていませんでした。父の代からのやり方を大きく変えた事で離れてしまったお客さんもいると思います。新しい時代に向けて経営判断をしていく事は大切だと考えていますが、全てが自分の責任になる。だからこそ自分の120%を出しきらないといけないと感じています。観光でせっかく遠くまで来てくれたお客さんにも壱岐の代表として料理を出しているくらいの気概をもって取り組んでいます。
Q大きく変えた経営判断とは主にどのような事でしょうか。
より壱岐産の物にこだわりをもって仕入れを見直し、それに伴いメニューも変えました。これは父と二人店に立っている頃からよく議論をしていた事でもありました。
Qお父様からお店を継ぐきっかけについてお聞かせください。
壱岐高校を卒業後、大学では経済・経営を専攻していました。当時は金融がとても面白いと感じていて、銀行に就職するつもりで面接を受けていました。4次面接まで受かっていたある日、父が『今、お前は銀行とかそんなんしよるっちゃろ。料理はせんとか』と言ったんです。それまで父からそんな事を言われた事はなく、いつも好きなようにさせてくれた父の言葉が、よっぽどなんやろうなと感じまして『わかった、料理するよ』と伝えて、そこから右も左もわからないまま大学を卒業後すぐに料理の道に進みました。
Q志望の就職先を変える事への葛藤はなかったんでしょうか。
ありませんでした。不思議に聞こえるかもしれませんが、父の事が好きだったんだと思います。どんなに辛くても絶対にお店を休まず、いつも懸命に仕事をしてる両親を心から尊敬していました。「父の築いたものを継いでいかなければ。」そんなふうに腹がストンと決まってしまいました。
とはいえ、大学卒業後、修業の為に入ったレストランでは3カ月で30キロ痩せました(笑)右も左もわからず、自分より年下の先輩に『こんな事も出来ないのか』と言われて燃えましたね。
Q5趣味については、仕事に夢中で休日もお仕事三昧とのことですが今後の展望などは?
そう、仕事ばかり(笑)釣りは挑戦してみたんですけどね、壱岐に帰ってきて初めて行った釣りが磯場で、辛すぎて一度でこりごりです(笑)捌く方に専念しようと思います!
今後の展望は、来てくれた方に満足して頂ける店を作っていく事です。「壱岐ならでは」を強く意識するようになり、お店の造作は生け簀をもっと活かしたいし、メニューも新しいものを考えています。 壱岐は自然の恵みや歴史も深い土地なので、そういう事も伝えていきたい。お店のレイアウトなどに活かせればと思い、今日もおんだこ工房へ行きます。壱岐の美味しいものを通して文化も楽しんでもらいたいと思います。
Q6お店にも壱岐ならではが沢山ありますね。
うちの生け簀は近海からポンプで直接海水を引いています。これも綺麗な海に囲まれた壱岐ならではですし、店内造作の船は本物の船を作る人(船大工さん)が手掛けてくれたので本当に海に浮くんですよ。
Qこれからの壱岐についてお聞かせください
人口が減っている事や、お客様の『観光は一日で終わってしまうね』という声を聴くとやはり危機感を持ちます。散歩コースや長く遊べる場所があるといいな等、思う事は色々ありますが、現状は自分の店の切り盛りで精一杯です。そういう意味でもお店に来てくれたお客さんには精一杯楽しんでいってもらいたいと思っています。
Qあなたにとって壱岐とは?
『運命共同体』
自分を活かしてくれている場所。うちは壱岐の魚やお米、野菜を扱っています。壱岐の土地と共に生きていると日々実感しています。
[インタビュー、文、写真:飯塚 綾未]
【壱州人辞典とは】
地元出身者・移住者・年齢・性別問わず、“壱岐に住む(暮らしている)人”を紹介していく企画です。
壱岐島の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てることが大切だと考え、魅力的だと感じる人を紹介していくことで「この人に会ってみたい。」「この人に 話を聞きたい。」という興味を持ってもらい、人が人を呼ぶようなサイクルを作りたいと思っています。
人から人へと辿っていくことで、私たちが知らない、壱岐の人もあまり知らない面白い人に出会いました。
~壱州人辞典一覧はこちらから~
















